「会議で発言できない」という悩み
いい記事。
私は近頃、会議があると「また失敗した。。。」という気持ちになってしまいがちです。
たぶん自信がない議題のときそうなりがちなのだとおもいます。
この記事に同意。
準備をしないまま会議や打ち合わせに参加してはいけない。
会議で決めないといけないことを事前に決めておく。そうでないと会議をする意味がない。
意味のない会議をしてはいけない。
なぜならその時間で他の仕事ができるから。他の仕事をするべき。
会議の席で一度も発言しないのはいけない。
しょうもない質問であっても発言をするほうがずっとまし。
質問できないのは準備不足のことが多い。
選択と年齢について何かの本で読んだ格言を思い出したけど
「『選択』と『年齢』」について
「選択」をしないといけない状況になることを避けないといけないというような主張を確か内田樹さんの本で読んだ気がする。
なんか特別な重要な取り返しのつかない決断、プレッシャーに押しつぶされそうになりながらえいやっと最終的にやけくそになったりしつつする選択ってだいたいまちがいますよね。
それはそうと選択を先延ばしする事は選択の失敗のひとつのバリエーションであるというような文章も何かで読んだ気もする。経営書かな。
何歳になっても選択をせまられる状況はやってくる。だいたい突然。そういう時は直感で決めて、あとから思い悩まない事がたいせつ。
進学とか就職とか転職とか結婚とか何歳でもいいよ。やらないといけないことはやる。
先延ばしにするのはかっこいいことじゃないしカッコ悪い事してるひとは見た目にも現れる。
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人生の勝算
長時間労働自慢、読んでてしんどい。
早朝出勤、深夜残業、徹夜の仕事、こういう本、社会人なりたてのひとがはまって真似しがち。
「消費」という言葉をつかうことにもうちょっと慎重になってほしい。
良かったところ
宇田川さんの言葉
「勉強なんかいらないよ。とにかく人に好かれる事。秘書でも、掃除のおばちゃんでも、受付の人でも、好かれなくちゃだめだ」
「老人を敬え」とは?
なんで老人を敬わないといけないのか?
想像だけど、昔は飢えや病気や戦いで人々は若いうちからどんどん死んでいった。
だから老人になっても生き残っている人は何かしらすごい(能力か運か人脈か)ところがあると周りから思われていたからめっちゃリスペクトされた。
老人の経験や発言は貴重な情報だった。
要は老人はレアだった。
今の日本はどうか?
医療は発達し食料も文字通り捨てるほどあり戦争もない。人はなかなか死なない。
老人が腐るほどいる。全然レアじゃない。むしろ多すぎて若者がこの先困るんじゃね?という悲観的観測がうんざりするほどある。
今の時代レアな存在って何?
子供でしょ。
老人じゃなくて子供を大事にしましょうよ。
子供やお母さんを守れ。老人につかう金があったらまず子供のためにつかえ。
未来のために使え。
お金の使い道、消費と投資は全然違う。
使って終わりの消費か、リターンをもたらす可能性がある投資か。
消費は絞って投資をしたい。
老人につかう金は消費、子供につかう金は投資。
闘病と仕事の心がけ
朝は平日も休日もちゃんと起きる。身だしなみを整える。
笑う。面白い事が起きたから笑うのではなくて笑ってる人になりたいから笑う。
買い物で迷ったら高い方を買う。
本は気になったらとりあえず買う。
食べ過ぎない。
走らない。
さっさと決める。後悔しない。
光を感じない人からは距離を置く。
しんどいことはしない。
1日の終わりに自分が達成した事を振り返る。
できなかった事じゃなくてできた事を思い出す。
夜は食べ物も情報も摂取は控えて排出する。
内田樹「街場の文体論」
三つの条件が整っていれば人間は成長できる。
・無知の自覚
・メンターを探り当てる能力
・ メンターを教える気にさせる礼儀正しさ
こういった能力を積極的に身につけないような人もいる。
「俺は誰にも頼らない」「俺は誰にも尋ねない」こういった態度は自分自身が成長する機会を遠ざける。
こういった姿勢が一部の人間に対してだけ勧奨されているのが階層社会の怖いところ。
当事者たちは何も知らずに自分自身を社会の下層に呪縛している。
「これは変だ」「バカバカしい」と感じたらやめていいんです。
異常な状況にそういった反応ができる人は生き延びるリテラシーが高い。
「理不尽な気がするけどみんながやってることだし自分もやる」という姿勢は就職活動している学生にも見られるが、リテラシーが低い証拠。
生物として元気のいい人は、変な状況に見切りをつけて移動してしまう。
変だと思った事はやらなくていい。
成長というか変化していきたいなら謙虚に新しい事を学ぶのがいい。